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慶應医学新聞(第782号 2016.12.20)掲載「論壇:30年後の医学・医療を考える」

平成28年12月20日発行 慶應義塾医学部新聞第782号

「論壇:30年後の医学・医療を考える」
  坂口光洋記念システム医学講座教授 洪 実 (65回)

 システム医学講座では、症例研究という授業の枠で卒業間近の学生諸君に、「30年後の医学・医療はどうなっているか」というテーマで討論と発表をしてもらっている。医師国家試験の勉強で忙しい学生の中には時間の無駄と思う向きもあるようだが、将来の自分を考えるきっかけになったと言う意見もある。
 医学部創立100周年を間近に控えて、これまでの100年、これからの100年に思いを馳せる三四会の先生方もおられると考えるが、時々は立ち止まって、自分自身だけでなく未来の医学・医療、医学部・病院のありかた、医学教育のあり方を考えるのは必要である。なにしろ、我々の世代が医学部を卒業したのがちょうど30年前であり、これから30年後と言うと来年卒業する学生諸君が、我々の年齢になってまだ現場で活躍している頃だろう。昨今、変化がますます加速しているように感じられるが、もし30年後に今と全く違う医学・医療のあり方ならば、それに対する心構え、教育が今必要とされていることは言を俟たない。
 学生諸君が熱のこもった議論を繰り広げるテーマの一つは、超高齢社会などに加え、医療への人工知能やロボットの導入だ。IBMワトソンの例を取り上げるまでもなく、コンピュータ・人工知能による診断治療へのサポートシステムは、すでに現実のものとなりつつあるが、今後30年間でそれがさらに加速する事はまず間違いない。なにしろ、レイ・カーツワイルらが広めたシンギュラリティ、つまり、汎用人工知能が人間の能力を超える瞬間が、ほぼ30年後の2045年に起こるとされている。
 汎用人工知能の出現に懐疑的な人達も、人工知能の最も得意とする領域の一つに診断や治療方針の決定を上げることが多い。また、ゲノム情報や大量で精度の高い検査情報・画像情報など、最近進歩が加速しているデータ駆動型の医学・医療は圧倒的なデータ解析能力を誇る人工知能の最も得意とする領域である。人型ロボットの開発も加速しつつあり、どの分野をとっても専門医よりも知識・推論・判断能力のある医療人工知能・ロボットが医療の現場で活躍するだろう。過去のすべての医学文献に通じているだけでなく、医療の現場での毎日の経験を通じて日々学習する能力をもち、また、個々の医療現場の経験を集団知として統合することで直接経験していない症例からも即座に学習するだろう。
 学生さん達の結論は30年後に人間の医師、つまり「我々に」仕事が残されていないのでは、というところにまで達することが多い。しかし、最終的には人と人の心のふれあい、信頼といった情緒的な部分が重要になってくるのではないか、という意見もでる。医師免許を持つ医師だけが医療行為の責任を持つことができるので、人間の医師は必要という意見もある。
 逆に、ユニバーサルな医療人工知能が現場で即座に補助をしてくれるならば、誰もが全ての診療科の専門家になれるかもしれない。これは、伝統的な医学・医療の組織区分を再考するという最近のトレンドを一層促すだろう。クリーブランド・クリニックが、患者目線で、内科・外科といった伝統的な区分を撤廃して、病院ランキングで全米2位に大躍進したのは記憶に新しい。私が長年勤めていた米国NIHでは、歴史的な経緯から臓器・疾患ごとに分かれている27の研究所を一桁台に統廃合するべきという議論も繰り返し浮上している。
 我々がシステム医学と呼んでいるシステム思考-全体像を数理的に把握しつつ個別の事柄にも集中するという思考方法-の医学・医療への応用は、まさに、このような枠組みの中で理解されるものだが、システム思考に親和性があり、これからの劇的な変化に柔軟に対応できる医師・医学研究者を育てていくことも我々の目標の一つである。
 30年後を見据えると、我々が今なすべきことの優先順位も変わってくるかもしれない。30年後にも慶應医学が日本・世界をリードできるためには、どのような医学教育・研究が必要となるだろうか? 病院の建物や組織などのインフラも30年後の未来に対応できるだろうか?「鏡の国のアリス」で赤のクイーンが言うように、自分は走っているつもりでも、周りが自分より速く走れば、相対的に後退してしまう。本塾医学部・病院も、未来を見据えて、全力で走らねばならないところにきているのかもしれない。

「研究医のすすめ~研究の魅力とは~」 

慶應義塾大学医学部では、2014年8月1日に、高校生向けにオープンキャンパスを行いました。
以下は、その時に配布された「研究室オープンガイドブック」に掲載された文章です。

洪実 (慶應義塾大学医学部 坂口記念 システム医学講座 教授)

医学研究者が休みなく研究に打ち込むのは、病める人々を救いたいという崇高な気持ちと共に、例え小さくとも人類初!という発見をする喜びを経験したいから。研究は、しばしば、真っ暗闇の中を手さぐりすることに例えられる。一つ一つの実験は、マッチを擦って目の前の壁を照らすようなものだ。そこに描かれているのは断片的でどんな絵かわからないが、なんだか重要そうな面白そうな予感がする。大いなる期待と不安に胸を踊らせて、憑かれたようにマッチを擦り続ける。天才は、断片的な情報をつなぎあわせて一気に全体像に至るだろう。でも、凡人も一生懸命手探りをしているうちに電灯のスイッチに手が届き、突然全てが明らかになることもある。往々にして、更に探索するべき隣の部屋があることに気づくだけのこともあるが、一気にすべてが見え全面解決かと思える瞬間、断片的な絵がつまらない落書きでなく、例えば、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの大作の一部であったことに気がつく瞬間、天にも昇る心地だろう。皆さんも、研究者になって、そんな体験をしてみたいと思いませんか?